若干脱線しながら結論に繋がります
「おかしいと思うことに協力しない」
これは何においても大事
色々条件や不利益はあると思う
周りの評判、のちのちの将来への不安、金銭への不安
ただ、それらを差し置いてもおかしいと思うならそう言うべきだし、言って初めて通じる事も多い。
「おかしいと思う人」「実際に協力しない人」
が増えていって、半数を超えれば「全体」もその意見を考慮せざるを得なくなる。
体制を維持しているのは、(維持”させられて”いる・としても協力しているのは)他ならぬ私たちだ、という自覚が必要なのではないか。
たとえ「仕事」としてそれを行っていようと、仕事は選ぶ事ができる。
嫌な仕事から離れ、好きで楽しい仕事に変える事はできる。条件があるのなら、その条件で探してみればいい。
社会、体制を維持しているのが私たちだとしたら、そこからそっと離れることで、体制はそのデカい体を維持も出来なくなる。
社会を変えたいなら、本当に”イヤだ”と思うなら、協力しないことだ。
「一人ぐらい・・」「私一人が・・」なんて思わないこと。一人の力はとても大きい。
人出不足で会社が倒産していくように、我々にはすごい力がある。なんでもできるのだ。
警察も学校も政府もすべて「人」が運営している。
組織に「おかしい」と言い続けるのも大切だが、そこからそっと離れ、「協力しないで」「別の道を取る」という選択肢を持つことも大切なのではないだろうか。(言っても変わらないどころか、立場などが悪化する組織も多い。)
結論。戦争を作ったのは我々庶民である。間違いがない。
「言われたから・そう決まっているから・そうしないと危ないから」そう言って、逃げることもせず、追従し、武器を手に取り軍に入り実際に人を殺した。
だから、戦争を作ったのはそれに協力した人たちだ。
この時多数が反対(もしくはシラを切って)知らん顔していれば戦争など起こせやしなかった。今もそうである。そのおかしな体制を維持しているのは我々庶民だ。
多数派のふりを辞めよう。
自分の意見を表明しよう。
言わなくても、とりあえず自分の中は定めてみよう。後悔しないように。
流される事は「楽」だが、楽しくはない。
思考停止ではいられるが、面白くはない。
協力し、「表面だけでも」追従することでその風潮・体制はさらに加速する。
一人一人の意思が試されている。