好きに生きても良いじゃない

レールは自分で敷くもの~画一社会に独特の生き方を提案するブログ~

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そこに愛はあるのか?

 

 おすすめ。

人のための我慢に「愛」はある?

そこに尊重の気持ちはあるのか。

 

それはエスカレートすると、どうなっていく?

戦争はどのような理由で行かされた?

いまいちど考えてみてほしい。

 

 

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今、私の住む地域では『人のため』という言葉、雰囲気で我慢を強いる人が多い。「自分は我慢してマスクをしているのだから、お前もしろ。それが『人への愛』だ。『配慮』というものだ。それが『当然、常識』というものだ。」、という。

 

しかし、ここで問いたい。

あなたがたは、マスクが出来ない人へ『配慮』をしているのだろうか。
それが『当然』である、『常識』であると我慢を強いていないか。

それが本当の本当に「必要である」ならば納得もできる。
しかし、今回の件で言うならば罹患しても風邪程度である。 残念ながら。
無症状の人は何時まで経っても発症しないし、発症するのは免疫力を落とした時だけ。

 

基礎疾患があってマスクが出来ない人もいる。
自身の信条、生き方、意志としてマスクがしたくない人もいる。
これらを無視して押し付けるものは、本当に『人への愛』なのか。

 

私にはスゴク疑問だ。

本当に『人への愛』がある人は、人の自由を尊重する。

そう思う。 

今、巷にあふれているのは『人への愛』だろうか、それ以外だろうか。